娘は約4年ほどアメリカで過ごしました。
日本へ帰国時は、頭で考えなくてもとっさに英語が口をついてでていました。
帰国当時、5歳半でした。
「子どもは駐在すれば英語を話せるようになるのか?」
「日本にいても英語が話せるようになるヒントがほしい。」
このような疑問をお持ちの方に、ぜひ読んでいただきたい内容となっています。
あわせて、
・娘がどのように英語が上達していったのか
を年齢ごとでまとめるとともに、
・英語の上達における個人差
についても考えをまとめています。
参考にしていただければ幸いです。
【5歳半】帰国子女の娘が英語を話せるようになった理由3つ
娘はアメリカにいる間に、かんたんな英語なら話せるようになりました。
その理由は、
・日本人がいない現地のプリスクールに通った
・家でも少しずつ英語に触れるようにしていた
・娘が大のおしゃべり好きだった
が挙げられます。
日本人がいない現地のプリスクールに通った
やはり最大の理由は、日本人のいない現地の学校に通ったことでしょう。
私たちは日本人があまり住んでいない場所を選んで住んでいました。
もちろん日本人が多い地域を選んで住まれている方もいらっしゃいます。
そのため、近くには日本人学校がありません。
また、プリスクールとして選んだ学校にも、日本人はいませんでした。
娘は
・教会主催のスクール(半日保育) 2歳~2歳半、週2日
・プリスクール(保育園型) 3歳半~5歳半、週2~5日
・地元のプリスクール(半日保育) 4歳半~半年間 週3日
・地元のキンダー 5歳、約1ヶ月 週5日
の学校を経験しています。
とくに娘の英語力が伸びたと感じたのは、4歳半~5歳半の1年間です。
理由は、この時期になってようやく毎日プリスクールに通うことができたためです。
それまで週5日預けられなかった理由は、
・コロナでしばらく閉園していた
・保育料が高額である
ことが挙げられます。
とくに私の出産前後のおよそ2ヶ月間は、朝から夕方までプリスクールで預かってもらいました。
その間に、各段に英語力は伸びたはずです。
家での一人遊びでも、その期間だけは英語を使っていたこともあります。
やはり1日の大半を現地の学校で過ごすことが、娘の英語力を向上させたことはいうまでもありません。
家でも少しずつ英語に触れるようにしていた
娘には自宅で、必死にワークなどで英語を勉強させることはありませんでした。
しかし、
・英語の歌を聞く
・英語の絵本を読む
・英語のアニメを見る
などは少しずつですが家でもやっていました。
幸い近くに図書館があり、英語の絵本やDVDはすぐに手に取れる環境にありました。
娘が2歳にもなると、日本の家族や友人からは、
「英語は話せるようになったのか?」
「周りからもう孫は英語がペラペラだろうと言われるがどうか?」
と言われることが増えました。
しかしその頃はようやく日本語が上手に話せるようになったころ。
英語なんて話せるはずがありません。
海外に住んでいれば、そう思われても不思議はありませんよね。
しかし、4歳くらいからは少しずつ私も焦りはじめていました。
理由は、
・本帰国を言い渡される可能性があった
・現地のスクールで娘が困る可能性があった
ためです。
そこで、少しでも英語には家でも触れておいたほうがいいと考えました。
幸い、駐在中は日本にいるよりも、英語には触れやすい環境にあります。
娘が英語を嫌いにならない程度に、
・英語の歌を聞く
・英語の絵本を読む
・英語のアニメを見る
この3つを中心に、家でも英語に触れるようにしていました。
家でもふれていたおかげか、娘は英語に対しての抵抗はありませんでした。
娘が大のおしゃべり好きだった
娘はほかの同級生にくらべ、群をぬいておしゃべりだと感じます。
家でも外でもひとりでも大勢のときでも、ずっとおしゃべりしています。
これが、英語の上達にはかなり功を奏したのではないかと思うのです。
日本にいる今もおしゃべりですが、娘はアメリカでもおしゃべりでした。
ウソでも間違っていても構わず、娘はアメリカ人に英語で話しかけ続けました。
英会話の上達に必要なのは、間違いを気にせず、とりあえず英語を使って話すことなのではないでしょうか?
この“実践”を、娘に関してはかなり積むことができました。
私は間違いを恐れてしまって、英語をなかなか話せないんです。
子どものうちに英語が上達するのは、失敗を恐れないことも理由のひとつな気がします。
娘の英語習得の経緯
娘がどのように英語を習得していったのかを時系列でまとめてみます。
<3歳頃(英語はほとんど話せない)>
英語でもなく、日本語でもない言葉で現地の方に話しかけていました。
たとえば、
「ウィンウィン・・、リンリン・・・」
みたいな感じです。
彼女からしたら、英語を話しているつもりだったのでしょう。
現地の方たちも、
????
という感じでした。
ただ、日本語で話しかけることはありませんでした。
この頃に“日本語と英語が違う”という区別がつき始めたのだと思います。
周りの日本人の子をみていても、3歳あたりから、
「あの人は日本語をしゃべっている。」
「あの人たちは日本語をしゃべっていない」
というようなことがわかり始めているようでした。
<4歳頃>
少しずつ、英語の単語を話し始めました。
初期に覚えた英語は、現地の学校でよく使うであろう、
・cubby(ロッカールーム)
・water bottle (水筒)
・go potty(トイレに行く)
のようなものでした。
公園で出会った人には、
four years old
などの年齢で自己紹介をしていました。
<5歳頃>
英語が上達してきた頃です。
この頃は、学校の先生に自分のことや家族のことなどを話しているようでした。
私が迎えにいくと、学校の先生から
・私が女の子を妊娠していると言っていたが本当か
・今日は友達の家に遊びに行くと言っていた
などと娘が話したことを聞くようになりました。
特に娘が学校の先生に、私の妊娠のことを伝えていたことは驚きました。
“pregnant ”という妊婦という意味の単語を使ったとは思えません。
あとでどうやって伝えたかを聞いてみると、
・mommy’s tummy is in baby
・a girl(boy or girl?と問われて)
など、知っている言葉を組み合わせて伝えていたことがわかりました。
本当にいい意味でも悪い意味でも、おしゃべりだなと実感したエピソードです。
英語上達の個人差
アメリカ駐在中は、何人か娘と同じくらいの年齢の友達がいました。
そこで感じたのは、英語の上達レベルや速さは、
・英語環境
・性格
などにかなり左右されるということです。
駐在妻の友人たちの話を聞いていると、駐在中の日本人の子でも、
英語がかなり話せる子と話さない子がいます。
話せる子は、
・家で流す動画はすべて英語のものにしていた
・毎日現地の学校に朝から夕方まで行かせた
などのエピソードが聞かれます。
子どもが日本語より英語のほうが強い、というのも駐在組にはちらほらいるようです。
話さない子は、
・英語を嫌がり日本人の子が多い学校に通った
・内気な性格で現地の学校の子に話しかけていないようだ
などを聞きました。
駐在妻の友人は、娘さんが英語の学校嫌がったそうで、日本語学校に通わせていましたよ。
駐在していたからといって、皆が英語が話せるようになるとは限りません。
子どもによっては、英語だけの環境に対してかなり嫌悪感を抱く子もいるといいます。
娘の場合は、友達がたくさんいる“学校”という環境がかなり好きだったようです。
友達と遊ぶこと、おしゃべりが好きであることなども幸いしました。
子どもたちはそれぞれの考えや性格があります。
子どもと話したり、様子をみたりしながら、
英語環境に身をおいても子どもが楽しめるか
というところを念頭において英語との付き合い方を考えていくべきだと考えます。
子どもの年齢においても、英語との付き合い方はかわりますよね。
駐在妻の友人は、子どもが娘と同じ3~5歳くらいが多かったので、現地校に行かせる方が多かったですよ。
まとめ
娘がアメリカで英語が話せるようになった主な理由は、
・日本人がいない現地のプリスクールに通った
・家でも少しずつ英語に触れるようにしていた
・娘が大のおしゃべり好きだった
などが挙げられます。
駐在生活をおくったからといって、皆が英語が話せるようになるとは限りません。
英語環境・その子の性格などによっても左右されてきます。
しかしいまや小学校から英語の授業がはじまる時代です。
受験にも、英検の取得などが有利にはたらくという話も聞きます。
駐在したからには、子どもの英語力をのばしてあげたい気持ちもありますよね。
子どもの性格などを考慮し、負担のない英語環境を準備してあげたいですね。
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